ふと、想ったこと,  傾聴の学校「ソクルス」

「スキャンしあえる時代」に

新しい書斎に飾ってあるChie ArtのChieさんのカレンダー。

今のお家に引っ越すまでは、以前のセッションルームに飾っていたが、今は贅沢にも独り占めで使わせてもらっている。

去年から、母と自分用に購入するようになった。すぐに売れ切れてしまうカレンダーなので、去年は手に入るかどうか、ちょっとドキドキしていた。今年もタイミングが合うといいなと、そのことを考えると、今からもうドキドキ。

Chieさんが創り出す・紡ぐ、画、音、言葉が、すごく好き。

Chieさんが創り出すものは、私が自分のハートへと繋がることを助けてくれる。

昨日ふとChieさんのエネルギーに触れたくなって、ブログを覗きにいったら、「あ!それそれ!その感覚!」と思う表現があったので、記憶しておこうと思った。

Chieさんのブログから:「分離とワンネス」

 

伝えたいから使っている

ツールの言葉が

「自分」と「想い」を

分離させてしまうのは皮肉なことです。

言葉に出した途端に

無料の自動翻訳機が作動して

想いとは違う翻訳になってしまう言語システムがいちばんの問題。

心のなかをそっくりそのまま

スキャンしあえる時代に

早くまた戻ればいいな、

そうしたらこんな面倒なことはないのにと思っちゃいます。

 

これは、まさに先日、傾聴の学校「ソクルス」の第4期生の募集に書いた私の原体験、そのままの感覚:

 

私には言葉も話せないような時の記憶があるのですが、人は本来、テレパシーでコミュニケーションできれば一番誤解なく、ずっと愛ある感覚の中でお互いが繋がり合い、植物や動物の世界と同じような、愛だけが育まれる世界が広がっていくのにと思っていました。

なので、その時の記憶では、会話する大人たちを見て、どうしてハートで感じていることと、発している言葉がこんなにも違っているのか、そして発している言葉だけで、人間の世界は形成されていくんだ…ということを不思議に思っていました。

 

みんな、心の内が全部見えてしまったら、知りたくなったことも知ってしまうし、自分も都合悪いしと思うかもしれないけど、Chieさんもこう表現しているように、

 

本心だけでやりとりできれば

こんなクリアなコミュニケーションはないわけで

重い鎧をつける必要がない街は

笑顔で平和だろうなぁpastedGraphic.pngpastedGraphic.png

隠そうとするから摩擦が生じるのであって

最初から筒抜けであれば摩擦は起こらない。

嫌なものは嫌

好きなものは好き

意見の相違があろうが

「へぇーそうなんだ」

それだけ。

あぁ~楽!(≧▽≦)

 

本当に、ただそれだけなので、何の問題もない。

私たち全員が、こんな感覚になれたら、きっとテレパシーでコミュニケーションをする世界が戻ってくるのだろうと、ずっと願っているし、今私が傾聴の学校をやっているのは、この世界に戻りたいから。

分離感のない世界を再び思い出すのに、14年間ずっと一緒にいた愛犬の存在は大きかった。

彼女が旅立ってから、忘れた日はないけれど、最近ものすごく彼女の存在が恋しい。

肉体があったときよりも、彼女の存在はものすごく近くに感じるけれど、彼女の肌のぬくもりが、やっぱり恋しい。

ああ、リリー。また会いたいよ。

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